問題探求
はじめに:医療現場で増加するカスハラとその背景
近年、企業に対する悪質クレーマーによるカスタマーハラスメント(カスハラ)や、医療現場における患者やその家族からの「ペイシェントハラスメント(ペイハラ)」が深刻な問題として増加していることに加え、令和8年10月の労働施策総合推進法の施行により、事業主としてカスハラを防止する法的義務も課されました(労働施策総合推進法33条1項)。そのため、カスハラ対策は、企業にとって重要な関心事の一つといえます。
クレームの対応を行う現場では、従業員は心身ともに疲弊し、退職・休職に追い込まれるケースも少なくありません。経営者としては、従業員を守る安全配慮義務があるのは当然ですが、企業を発展させるためには、従業員を定着させ、質の良いサービスを持続的に提供する体制の構築が不可欠になります。
しかしながら、クレームへの対応を間違えることで、重大な事故を引き起こしたり、訴訟にまで発展する法的紛争のリスクを抱えたりする可能性もあるので、クレーム対応は、企業の経営者にとって対策を講じておくことが必須の分野といえます。
1 正当なクレームとカスハラの境界線
現場で対応に迷う最大の要因は、「正当なクレーム」と「不当なカスハラ」の線引きです。厚生労働省の定義は、「顧客等からのクレーム・言動の要求内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境を害する行為」と整理されています 。判断の基準としては、以下の点に注目します。
・要求内容の合理性:診療行為等をめぐり過失はあったのか。
・伝え方の社会通念上の妥当性:暴言、侮辱、脅迫などが行われていないか。
医療機関側において過失があり、要求内容が正当であったとしても、伝え方が社会通念上不相当であればハラスメントに該当することになります。そのため、こちらに過失があったからといって全ての要求に応じる必要はありません。
2 悪質クレーマーの対抗手段
クレーマーへの対策として、まず組織として対応方針・マニュアルを作成しておくことが理想です。
①スタッフへの執拗・粗暴な接触: まずは接触を遮断します。程度が大きい場合は、弁護士や警察の援助を求めてください。
②窓口等での騒ぎ(業務妨害): 騒ぎを起こすことは違法行為・犯罪となる場合があるため、躊躇せず警察や裁判所を利用して排除します。
③インターネット・SNSでの誹謗中傷: 掲載先の管理者への削除請求や、弁護士を通じた発信者情報の開示請求、名誉毀損等に基づく損害賠償請求や警察への相談といった法的措置が考えられます。攻撃の程度が小さい場合は戦略的に無視することも有効です。
④監督官庁への通報: 行政を介したクレームとなるため、医療機関が直接クレーマーの矢面に立つことは減る傾向にあります。適切に行政対応を行いましょう。
3 法的注意点①:スタッフを守る「安全配慮義務」
経営者は労働契約上、労働者に対して「安全配慮義務」を負っています。クレーム対応体制の不備によって、悪質なクレームに対応したスタッフがうつ病に罹患したり、最悪の場合で自殺に及んだりした場合、使用者としての安全配慮義務違反が問われ、損害賠償責任を負う可能性があります。
過去の裁判例からも、退職者が相次ぎ、患者サービスが低下し、さらにクレームが増加するなどして「負のスパイラル」に陥ってからでは、実効的な措置(配置転換や人員増員など)をとることが不可能になり、安全配慮義務を果たしていないと評価されるおそれがあります。手遅れになる前に、早期の段階から適切な対応措置を講じることが経営者の義務と言えます。
4 法的注意点②:「応召義務」と診療拒否
悪質なクレーマーとの関係を断ち切るための最終手段として「診療拒否」が考えられますが、医療機関としては医師法第19条の「応召義務」に反しないかが懸念されます。応招義務に反したからと言って、何らかの罰則が直ちに課せられるわけではありませんが、医師法7条の「医師としての品位を損するような行為のあったとき」として行政処分や、民事の損害賠償請求の対象となり得ます。
結論から言えば、悪質クレーマーに対する診療等の拒否は、「正当な事由」がある場合には応招義務違反とはなりません。厚生労働省の通知では、当該患者の診療に緊急性があるかどうかが重要な事項としてあげられており、緊急性のない場合には、信頼関係の喪失等を理由に正当事由になり得ると整理されています。
実際の裁判でも病院の正常な業務を妨げる行為に対して正当事由が認められた事例があります。ただし、安易な診療拒否はリスクを伴うため、応召義務の趣旨に立ち返り、専門家である弁護士の助言を得ながら慎重に検討することが安全です。
まとめ:早期の組織防衛と専門家の活用
カスハラ(ペイハラ)は、スタッフの疲弊を招くだけでなく、医療事故を誘発する重大な医療安全リスクでもあります。
対応の判断に迷う場合や、現場の「負のスパイラル」を防ぐためには、できる限り早い段階でプロである弁護士に相談することが得策です。弁護士をアドバイザーとして活用し、クレーム対応の負担を軽減することで、医師やスタッフは本業に専念できるようになります。
「医療者をカスハラから守ること」は、結果として「患者の安全を守ること」に直結します。組織全体で毅然とした対応体制を構築し、適切な法的手段を準備しておくことが求められます。
(弁護士 三村南央斗)
